私のお父さん
2006.02.12 Sunday 00:56
台湾には私のお父さんが住んでいる。
いわゆる乾爸爸(血の繋がってない父/父代わり)ってやつ。
私の乾爸は台東に住む原住民ピヌユマヤン(卑南族)で、日本語ぺらぺら。
初めて会ったとき、向こうは私を台北から来た台湾人だと思ったらしいが、日本人だと知って態度が急変した。
「もっと早く言ってくれれば!」って…いや、べつにそんなの宣伝する必要ないし…ってか初対面ですし。
乾爸には日本の名前がある。
乾爸の日本語はとても綺麗で、60年前の日本語はこんなに美しかったのかと驚かされる。
異国の方がこうやって綺麗な日本語を使えるのに、私が使えないのは恥ずかしい。きちんとした日本語を話さなければと、かえってこっちの背筋がピンとしてくる。
山奥なのに日本語を喋れる人がたくさんいる。
占領中日本が蛮地(原住民居住区)の教育にも力を入れていた証だろう。
みんな私が日本人というだけで本当に親切にしてくれる。口々に「懐かしいねー」「よく来たね~」と言ってくれる。………初対面だけど。
おじいさんもおばあさんも、記憶をたぐりながら日本語を話そうとする。「あー、もう日本語忘れたよ」と言いながら、話しているうちにいろいろ思い出すようで、どんどん饒舌になり、歌も飛び出す。
私は海外でも大体親切にされて、その国を好きになって帰ってくることが多いが、“日本人だから”という理由であそこまで親切にされるとは思ってもいなかった。
お喋りをするのが好きな私にとって、日本語で話してそのまま意味が通じるのは嬉しいし、とっても楽だ。しかも日本語で話すと喜んでくれるし、向こうも日本語を話したがる。
あそこに行って「日本人でよかった」と思ったけれど、おじいさんやおばあさんが日本語を話せるのは50年間もの間日本が台湾を支配していたからなんだ、と思うとなんとも複雑な気持ちになる。
いわゆる乾爸爸(血の繋がってない父/父代わり)ってやつ。
私の乾爸は台東に住む原住民ピヌユマヤン(卑南族)で、日本語ぺらぺら。
初めて会ったとき、向こうは私を台北から来た台湾人だと思ったらしいが、日本人だと知って態度が急変した。
「もっと早く言ってくれれば!」って…いや、べつにそんなの宣伝する必要ないし…ってか初対面ですし。
乾爸には日本の名前がある。
乾爸の日本語はとても綺麗で、60年前の日本語はこんなに美しかったのかと驚かされる。
異国の方がこうやって綺麗な日本語を使えるのに、私が使えないのは恥ずかしい。きちんとした日本語を話さなければと、かえってこっちの背筋がピンとしてくる。
山奥なのに日本語を喋れる人がたくさんいる。
占領中日本が蛮地(原住民居住区)の教育にも力を入れていた証だろう。
みんな私が日本人というだけで本当に親切にしてくれる。口々に「懐かしいねー」「よく来たね~」と言ってくれる。………初対面だけど。
おじいさんもおばあさんも、記憶をたぐりながら日本語を話そうとする。「あー、もう日本語忘れたよ」と言いながら、話しているうちにいろいろ思い出すようで、どんどん饒舌になり、歌も飛び出す。
私は海外でも大体親切にされて、その国を好きになって帰ってくることが多いが、“日本人だから”という理由であそこまで親切にされるとは思ってもいなかった。
お喋りをするのが好きな私にとって、日本語で話してそのまま意味が通じるのは嬉しいし、とっても楽だ。しかも日本語で話すと喜んでくれるし、向こうも日本語を話したがる。
あそこに行って「日本人でよかった」と思ったけれど、おじいさんやおばあさんが日本語を話せるのは50年間もの間日本が台湾を支配していたからなんだ、と思うとなんとも複雑な気持ちになる。
だって、嫌な思いもたくさんしたでしょう?
終戦間際には日本の兵隊が隠れているからということで、山も爆撃にあったそうだ。
「飛行機たくさん来た。兵隊さん逃げた」
私を可愛がってくれているおばあさんが片言の日本語で言う。
土地を自らの所有物ではなく、ご先祖さまからの預かり物と考える原住民にとって山を焼かれるのは辛かったんじゃないかな。
乾爸はあまりそういう話はしないけど、日本人は好きで台湾に住んでいる中国人は嫌いらしい。
山の上から麓を眺めていたとき、乾爸が言っていた。
「昔はこの目に見える土地のすべてがわしらの土地だった。それをバイラン(壊人=悪人)が、酒を飲ませたりして騙して取っていった。」
「何が台湾人だ。本当の台湾人はわしらだけだ」
乾爸は原住民にはめずらしい公務員だった。
学校でも成績が良くて公務員試験に受かり、退職まで勤め上げた。3人の息子を全部大学まで行かせたのが自慢だ。
終戦のとき乾爸は国民小学校の3年生だったそうだ。それにしては日本語が上手いのは、その後も日本語を勉強してきたからなんだろう。
あるとき偏屈な乾爸が唯一尊敬するクラバク(ピヌユマヤン語で兄弟みたいなもの)のおじさんが酒の席で私にこういった。
「このひと(乾爸)小学校留年してるんだよ」
「えっ?!」
頭がいいのが自慢の乾爸が?!
「日本がいなくなって、言葉も全部変わったでしょ。だからね、国語(中国語)ができないで留年したの」
「あんたは真面目に日本語を勉強しとらんかったから、今も日本語がうまくないだろが」
「学校遠いからね。途中で寄り道して昼寝しとった」
のほほーんとしたやりとりなのに、そこにある事実は重い。
生真面目でプライドが高くて、頭がいいのが自慢の乾爸が留年してたなんて…きっとすごく彼の自尊心を傷つけたろう。
一瞬言葉を失って、泣きそうになった。せっかくの楽しい席が台無しになると思って泣くのをこらえようと思ったけど、眼から涙が出てきてしまう。
「ごめんなさい」
口をついて出た言葉だけど、何に対してのごめんなさいだったのか、自分でもよく分からない。
おじさん達は「泣かないで」と慰めてくれて、笑い話をいっぱいしてくれた。
乾爸が私のことを“乾女兒”(娘代わり)だと言ってくれたときは嬉しかった。
そのときから私には台湾の、ピヌユマヤンの父ができた。
だから私は日本人だけど、ピヌユマヤンの娘なのだ。





comments
そうですか。日本人ということで大切に扱ってもらえたんですね。そうしたいい話を聞く機会が少ないので、とてもうれしいです。
原住民に限らず、本省人だと日本に親しみを持って下さっている方がおおいですね。以前台北の足つぼで隣になった老婦人も、とても美しい日本語で昔のことをいろいろ話して下さって、「日本の教育は良かった。今の台湾人はダメ」と仰っててびっくりしました。
実際台湾に行くと親切にして下さる方が多くて、逆にいろいろと考えされられることが多いです。
“いい話”いっぱいあると思いますけどね。でもいい話すぎて自分の胸にしまっておきたいのかも(笑)。私も正直これ書くの迷いましたからね。