《出草之歌~ある台湾原住民の吶喊 背山一戦》
2006.07.08 Saturday 18:42
タイトルの散漫さが表すように、なんとなく焦点がぼけた映画のように感じた。
これは高金素梅のドキュメンタリー?それとも原住民音楽と政治活動家の話?
でも制作者が言いたいのは「これをきっかけに靖国問題を考えてくれ」ということだろうな、と感じた。
結局はこの映像を通じて制作者の主張を伝えたいのか。
だとしたらまたも原住民は利用された?
なんとも消化不良でいろいろと考える課題を与えられたような気がするが、それが狙いだとすればまあ成功ではないだろうか。
ただし私が考えるのは靖国問題ではなく、台湾原住民の問題だけれども。
これ以降はかなり映画の内容に触れるので、ネタバレを嫌う人は読まないでください。
まあドキュメンタリー映画だから、ネタバレというのもおかしいかもしれないけれど、私の考えや主張も書くので真っ新な状態でこの映画を見たい人は読まない方がいい。
なお私の基本姿勢は以下の通り。(細かい説明は省く)
・首相の靖国参拝には反対。
・A級戦犯合祀反対。
・高砂義勇隊の分祀反対。
・台湾原住民を利用した政治パフォーマンスに反対。
私は台湾原住民出身の流行歌歌手を入り口に、台湾と台湾原住民に興味を持ち、原住民の方達とのふれあいを通して彼らの文化に触れそれに魅了された。
つまり台湾の中では原住民に一番シンパシーを感じている。
これは高金素梅のドキュメンタリー?それとも原住民音楽と政治活動家の話?
でも制作者が言いたいのは「これをきっかけに靖国問題を考えてくれ」ということだろうな、と感じた。
結局はこの映像を通じて制作者の主張を伝えたいのか。
だとしたらまたも原住民は利用された?
なんとも消化不良でいろいろと考える課題を与えられたような気がするが、それが狙いだとすればまあ成功ではないだろうか。
ただし私が考えるのは靖国問題ではなく、台湾原住民の問題だけれども。
これ以降はかなり映画の内容に触れるので、ネタバレを嫌う人は読まないでください。
まあドキュメンタリー映画だから、ネタバレというのもおかしいかもしれないけれど、私の考えや主張も書くので真っ新な状態でこの映画を見たい人は読まない方がいい。
なお私の基本姿勢は以下の通り。(細かい説明は省く)
・首相の靖国参拝には反対。
・A級戦犯合祀反対。
・高砂義勇隊の分祀反対。
・台湾原住民を利用した政治パフォーマンスに反対。
私は台湾原住民出身の流行歌歌手を入り口に、台湾と台湾原住民に興味を持ち、原住民の方達とのふれあいを通して彼らの文化に触れそれに魅了された。
つまり台湾の中では原住民に一番シンパシーを感じている。
先日「24日より《出草の歌~ある台湾原住民の吶喊 背山一戦》」にも書いたが、私は「原住民を利用する平地人」高金素梅が嫌いだ。
だがこの映画を見てると、彼女がとても素敵な闘士に見えてきてしまうのがなんと言っても気色悪い。
本編中では彼女の経歴を紹介していなかった気がするが、16才からPubで歌い始め18才で歌手デビュー。アン・リー(李安)監督の映画《ウエディング・バンケット》にも主演した元女優で歌手だということは彼女の経歴の大部分を占めるはず。だからこそ選挙カーで自分の歌を流し、カラオケで歌い、サインをし、握手し、一緒に写真を撮って選挙運動をしているのだ。
ようはタレント候補だろ?
彼女は決して昔から原住民運動に熱心だったわけではなく、タレント活動をしていた頃は原住民の血が入った“一半”(半分。混血児の意。差別的意味を含む)であることを隠し、漢民族のふりをして芸能活動をしていた。
癌を患い1995年に芸能界を引退。しかし2001年政界に打って出るときには突然原住民の身分を利用した。
彼女のことを原住民はなんというか?
“假原住民”(ニセ原住民)だ。
最初に日本兵の試し切り写真を示し、「日本は原住民に対して“三光作戦”を行った」と述べるところは違和感全開だ。
普通の台湾人や原住民が使う語彙じゃない。
外省人(日本の敗戦後台湾にやってきた漢族)か中国人が使う語彙だよ。
また彼女の語り口、言葉選びもいかにも劇場型の中国人風だ。
涙を流す姿も、怒りの抗議をする姿もとてもさまになっていて、「いや~、さすが国際派女優だわ」と思ってしまう。
自己演出をよく心得ている。素朴で単純な原住民にはとても真似できない。
彼女まるで【台湾原住民代表】のごとく振る舞うが、この映画の中に出てきた馬告國家公園への反対運動についても、最終的にはタイヤル(泰雅爾族)側と袂を分かっている。
泰雅爾族民族議會のサイト催生馬告檜木國家公園を読むと気が重くなるのだが、“部落工作隊”は部落烽火電子報(メルマガ)による不実・扇動的・暴力的なアジテーションを繰り返し、タイヤル自体の団結に支障を期するという事態になってしまった。
捍衛泰雅爾族自主尊嚴聲明—泰雅爾族自主,『部落工作隊退出』(タイヤル自主防衛声明--タイヤルの自主 部落工作隊は出ていけ)にはこう書かれている。
彼らは口々に原住民の自治と言うが、自主性がなくてなんの自治か?
(中略)
我々は呼びかける:
扇情的、激情的な方法でタイヤルを分裂させないでくれ。
部落工作隊の人々よ:
即刻タイヤルに関する事務を停止せよ。
タイヤルの娘よ:
チワス!自らと祖先の声に耳を傾け、早く彼らと離れなさい。
我ら民族の中に戻り一緒に討論し、話し合い、努力しよう!
この後烏來に再設置された高砂義勇軍紀念碑を巡る論争でも、泰雅爾族民族議會とチワス・アリこと高金素梅は対立している。
この“部落工作隊”の中心人物であり、映画の中で「我々が目指すのは社会主義」と話す張俊傑とは何者なのか?という疑問はあっさりと解ける。
在日台湾同郷会顧問の林建良氏が雑誌『正論』に書いた「靖国特集 靖国を訴えた台湾の女性国会議員の背後関係」を読むと親中反日活動家であると分かる。 (ただしこの雑誌の性質、および林建良氏が緑=台湾独立派であるということは考慮が必要)
これを知って「ああ、なるほど」と思う点がある。
私は中国語が多少分かるので映画を見ていて違和感を感じたのだが、彼は「両岸問題を考えて」「両岸問題をふまえて」「両岸問題を抱える我々は」と何度か語っているが字幕ではその部分が抜け落ちている。
彼は「両岸関係をふまえた上で」「平等な社会主義を目指す」らしい。
彼の目は中国を見ている。
この「両岸問題」発言省略について、監督がいらしたので直接質問してみたが、彼は「自分の中で整理がつかなかったので」と言っていた。
「あちらは“一つの中国の人”でしょ」とも。
それがどこまでの深度のある言葉なのか、私には計りかねるが張俊傑と“部落工作隊”の立ち位置は理解できた。
そしてもう一つ翻訳されてない言葉がある。
部落を回った高金素梅が原住民に対してする演説では
「良心的なバイランと協力していこう。アメリカの黒人も、彼らだけの力で現在の地位を勝ち取ったわけではない。私達の力だけではなく、良心的なバイランと力を合わせていこう」(斜体が省略箇所)
と述べている。
字幕では「良識ある漢族」とされていたが、バイランとはなにか?
原住民が言う平地人のことだが、それは台湾語で漢字を充てるなら“壞人”。つまり“悪人”のことなのだ。
この言葉は原住民が平地人に騙され続けてきた過去を物語っている。
「良心的な悪人と協力しよう」とはなかなか笑わせてくれる。
高金素梅は今年北京の民族大学を受験し、合格している。
少数民族が抑圧されている中国で台湾原住民の自治を学ぶのか?
彼女が協力を仰ぐバイランは北京か?
なお【台湾原住民】という概念すら近代のものである。
○○族という分類も、植民地時代に日本の学者達が調査・整理・分析したものに過ぎず、彼ら自信がそういった括りで自らのアイデンティティを捉えはじめたのも近年の話。
彼らの社会形成の基盤はあくまで各部落(原住民集落)にあり、部落における制度が全てである。
この映画の中でも「原住民は分配の社会制度を持っている」と語られているが、それは社会主義的な平等とは違う。
パイワン(排灣族)には貴族制度があるし、その他の部族にも社会的リーダーと宗教的リーダーがいる。厳しい生活の制度があり、階層社会とまでは言わないがきちんと区別がある。
十二族いる台湾原住民は独自の文化と言語を持ち、ほとんどが独自の言葉では話ができない。
共通言語は日本語か中国語だ。
それらをひとまとめに【台湾原住民】として自治を勝ち取る?
同じ部落の年寄りと若者が同じ言語で会話もできないのに。
極楽寺町ファイブ 映画のイエローさんで「さらば映画秘宝 思想から遠く離れて」において『映画秘宝』での紹介文が載っているのだがこれがまたひどいな~、と思う。
なお「Kusukusuさんへの返信」で映画を見た感想も書かれているが、ここで「特に二つのシーンが残念でした。」として「靖国神社の関係者に詰め寄るシーン。」「二つ目は、米国の国連ビル前でのデモ行進のシーン。」と挙げてらっしゃるが、私もこれは非常に残念だ。
原住民が野蛮で常識を知らない人々だと思われることを恐れる。
特に靖国神社で通訳の男性が「お前らの神道はクソだ」と叫ぶが、実は高金素梅はそこまで激しい言葉を使っていない。
完全に激昂した通訳の暴走だ。
ちなみにこのシーンの高金素梅の言葉遣いは芝居がかっていて、とても素晴らしい。さすがは女優。
そうか、結局は高金素梅のプロモーションビデオなのか。
さて原住民音楽マニアの皆さまにはお知らせしておきたいことがある。
この映画の中にライブハウス(女巫店?看板がよく見えなかった)で撮影されたサミンガ(Samingd/紀曉君)とチェン・ジェンニェン(陳建年)さんの歌が収められている。サミンガはブヌン(布農族)の歌を歌い、陳建年さんは「故郷普悠馬」を歌っている。
しかし彼らの歌が「お騒がせ議員」「ニセ原住民」高金素梅の映画に使われていることを知ったらどう思うのか?
特に陳建年さんは意図的に政治から遠く離れている。
井上監督は「アーメイ(張惠妹)はさすがに違うかな、と思ったけどいろんな歌を紹介したくて」と仰っていたが、高金素梅の主張とごっちゃに扱われることで、彼らも高金素梅と意見を同じくしていると思われてはそれこそいい迷惑だ。
これまた訳されてない部分で、冒頭原住民男性が歌う部分があるのだがそこではこう歌っている。
総統さんよ 総統さん
本当にオレたちと平等だというのなら ここに来て一緒に酒を飲もうぜ
一緒の酒を飲むのなら あんたの言うこと信用してやってもいいぜ
彼は歌い終わるとこういう。
「俺たちゃもともと楽しいのが好きなのさ、なぁ?」
楽しいことが好きな原住民に、抗議活動は似合わない。










comments
当日のお客の入りはいかがでした?
字幕翻訳も靖国神社でキレてた方だそうです。あの場面を見て「そんな訳し方ねーだろ!」と思ってちょっと笑ってしまった。
意図と言うよりも多分この監督は高金素梅に好感を持ってると思います。映画を見てると彼女が素敵に見えてくるのはそういう理由かな、と。
まあ日本人が原住民と知り合うと、大体気持ちを持って行かれますが持って行かれた相手が悪かったような(苦笑)。
この映画でサミンガさんや陳建年さんの映像が使われていたことが私には残念です。台湾や中国で政治的立場を表明することがどれだけ危険か、日本人には分かりにくいですから。
主張のために利用する意図がなかったとしても、結果的に相手を害することは可能です。
楽しいことが嫌いな人でないと抗議行動できないんでしょうかね。
「馬脚を露した」って、徹頭徹尾「エセ原住民の高金素梅は大っっ嫌い!」って表明してますけど?
これを受け入れてると読まれるなんて心外です!!(>_<)
> 楽しいことが嫌いな人でないと抗議行動できないんでしょうかね。
こんな話を聞いたことがあります。
原住民が抗議活動をすると歌を歌いだし、酒を飲みだして宴会になってしまうのでいつの間にかなんのために集まったのか分からなくなって、「じゃあ、酒も飲んだし帰るか~」となるそうです。
だから抗議されているほうも真面目に受け取らないって(苦笑)。
私は楽しい抗議活動っていうのもいいと思いますけどね。
チワスアリさんを似非原住民だと記述している箇所がありますが、あなたの定義する「似非」でない原住民とはいったいどのような人ですか?父が漢族の原住民は大陸の中国人の「血」が半分混ざっているから という理由であれば、それは血統主義でしょう。血統などというものは近代国家がねつ造したものですよ。もうちょっと現代思想を勉強してください。
「中立」という立場から書いておられるかもしれませんが、あなたの書いておられることは日本の右翼が言っているようなことと大体同じことですね。
戦後責任を考えるうえで、彼女の主張を「パフォーマンス」などとバカにせず、真摯に受け止めるべきです。台湾を侵略した日本国家に住んでいるのですから。当然政治的責任(今まで戦争責任を放置してきた)はアジア各国から問われています。
チワスアリさんは母が原住民で、ダブルという立場から発言しておられます。
たとえば在日朝鮮人で、両親のどちらかが日本人の場合、あなたはその在日朝鮮人を「似非在日」とでもおっしゃるのでしょうか?そして高みから「あいつは在日を利用して活動している」というのでしょうか?
血統主義やナショナリズムが疑問に付されている現代において、この映画評はちょっとひどいと思いました。高みの「日本人」の目線から書かれたものだとしか思えません。
もうちょっと自分の政治的立場を自覚してください。
政治的でない立場なんてないのですよ。